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手術のこと

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手術してもう10年以上過ぎやっと振り返る余裕が出来たので
気持ちの整理を兼ねて手術のことを書く気になりました。
病気は読む側にとっては楽しい記事ではないですよね。
あくまで自分の記録のつもりなので適当に読んでください。
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そのころ頻繁に嫌な動悸を感じるようになりかかりつけ医を受診。
検査することなく様子を見ましょうと安定剤を処方されました。
やはり気になるので入院施設のある総合病院の内科を再診、そこの検査の結果は
「異常なし」。
気持ちの問題かな~と1年放置して。
そのうち安静時にも動悸、起き上がる時に胸に違和感を感じるようになり
このまま放置して大丈夫かな~・・・
毎年受けていた人間ドック(夫の会社の検診センター)を早めに受診。
問診の時にその経緯を話したので最後の診察の時に女性医師から
「気になる影があるので最後にCTを受けて帰って下さい」とのこと
翌日その診察医から電話がありました。
「結果から言いますと病変が見つかりましたのでCTの写真を渡しますので
なるべく早く呼吸器外科のある大きな病院を受診してください」とのこと
何処にかかればいいのかネットで探してみたら〇〇〇共済病院に
「いい病院、いい先生」に選ばれた呼吸器外科医がいると分かり
近いので通院しやすいし、迷うことなく翌日に受診。
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先ずは総合内科の受診で持参した結果を見てやはり手術になるでしょうと。
その後CTの検査を受け呼吸器外科を受診できるように手配してくれました。
指定された数日後の午後2時、その日は早めに病院に行きましたが午後でも各科を
受診する患者さんは大勢いることにびっくり。
病院ってこんなにたくさんの患者さんがいるのだと心の片隅でなぜか
ホッとする気持ちもありました。
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呼吸器外科では次々に別の患者さんが呼ばれて・・・私は最後でした。
部屋に入っていくと「お待たせしました。実は難しい病気なので説明を
しっかりする為最後にさせてもらいました。」と主治医となる医師との対面。
それから1時間ほどの話は私にとって重い内容でした。
その日はMRIなど様々な検査を受けてこの病気の人は自己免疫疾患の
合併症を併発することが多いとのことで脳神経内科も受診することになり
後日、脳神経内科を受診「重症筋無力症」が陽性ですが手術に支障がない
とのことで後日の診察時に全ての検査の結果が伝えられました。
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夫にも同席してほしいとのことで休みを取ってもらっての受診でした。
「病名は胸腺腫?胸腺癌?どちらにせよ悪性腫瘍なので手術が必要です」と
摘出後すぐに病理室に運び検査ではっきりするとのこと。
どんな病気なのか詳しく説明を受けましたが頭に入って来ませんでした。
胸腺って何?・・・初めて知る臓器でした。
胸腺とは免疫をつかさどり心臓と両肺の間にあって白血球を作っている臓器
そこに2センチ大の腫瘍が出来ていること、手術は拡大胸腺摘出術で胸骨を
医療用の電動のこぎりで鎖骨の下から縦に17~8㎝切り開いて臓器を摘出
その時、肺に侵潤していないか、それがある場合は肺の一部を摘出することになると。
「筋無力症」があるので手術中に呼吸筋が働かなくなる恐れがあるので
人口呼吸器も用意して臨むとのこと
臓器摘出後は切り開いた胸骨に穴をあけて医療用の針金を5か所に差し込んで
結んで胸骨を接合し体の表面に針金の結び目が出ないようにしてから縫合しますと。
術後知ったのですが私が水泳をするということを聞いた主治医は水着を
着た時に術跡が目立たないようにと袋縫いで縫ってくれました。
優しい先生だな~(^-^)と感動しました。
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この病気は10万人に1人弱の患者数でまれな病気であること、再発率が高く
内臓に少しの病変も残さないような手術が必要なことなどが説明されました。
出来れば手術前に旅行をさせてあげて欲しいと夫に言ってました。
「医師として全力を尽くします。しっかりと支えていきます」の言葉に嬉しくて
私はこの主治医の言葉だけを信じていこうとそれ以来ネットを封印。
いつも診察室で穏やかな表情の主治医と対面すると不安も無くなりました。
次の診察で「どこか行かれましたか?」と聞かれ「旅行をしても楽しめないので
術後回復したら行ってきます」
実際には、術後に旅行に行けたのは4、5年後でした。
8月末に入院、9月に手術となりましたが離れた息子たちには私から簡単に
仕事を休んでくる必要はないので結果を待つようにと手紙を書きました。
姉たちにも電話で伝えました。
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手術当日は夫と同居する息子が立ち会って朝8時からの手術でした。
私は背中に刺された最初の麻酔を痛いと言ったまま意識が遠のき次に目が覚めたのは
夕方ICUの中だったようで夫から手術は無事終わったと聞かされました。
一度目を覚まして主治医と話しをしたそうですが全く覚えていません。
息子は辛くて見ていられないと先に帰ったとかで、その後夫も帰宅。
喉には挿管、腕には点滴、足には血栓ができないようにと装具の装着。
背中は痛み止めの針、お腹に2本のドレーン、そして俳尿管と体中に器具が付いていて
1時間ごとに看護師さん二人で私の体位を変えていきました。
ICUでは一睡もできないまま何時なのかも分かりません。
朝一で主治医たち3人がベッドにやってきて喉の挿管を最初に外してくれました。
その後すぐにいきなり「この場で立ってみましよう・・・」て(ヾノ・∀・`)ムリムリ
体にたまっている廃液をドレーンで流すためなので、しっかり立ちましようと医師に
支えられながら立ちますが全く力が入りませんでした。
これが出来ないとICUから出られないよって・・・
それから車いすに乗ってたくさんの器具と共に病室に戻りました。
麻酔医がやってきて手術時に用意した挿管用の管が3本とも入らなくて手間取ったこと
その後こども用に切り替えて手術になったこと、喉に傷をつけてしまったことの説明あり。
この時は1年以上声が出なくなるとは想像もしませんでした。
一つずつ体についていた器具や管が外されて少しずつ楽になり胸帯が付けられました。
ドレーンを抜く時っていきなり胸に軽い麻酔針を刺して抜くんです。
何の躊躇もないのであっという間でした。
それからはレントゲン検査、トイレ、食事など自力で行くように言われました。
痛いのは良く分かっていますが心を鬼にして手伝わないことにしていますと看護師さん
歩かないでいると回復が遅いのだとか。
咳が出るようになり(麻酔液を体から出す反応だそうで)傷に響いて辛かったな~。
それでも主治医から見て順調な回復とのことでした。
いつもこっそりと様子を見てくれていましたね。
息子たちが・・・そして遠くから姉たちが見舞ってくれました。
退院の許可が下りその後は病院に通う日々でした。
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咳が収まらずにそのうち声が出なくなって耳鼻咽喉科に回されて内視鏡の検査で
声帯の場所に腫瘍のような何かできていることが分かり悪性のものなのか判断できず
通院して様子を見ることになり不安で一杯でした。
通院は歩きと電車で通いましたがそれは良いリハビリになったようでした。
体にメスを入れる辛さと体内に入れた針金は遺物でしかなくその不快感はなんとも
言葉に表現出来ない苦痛でした。
胸を触ると針金の存在は今でもはっきりと分かります。
2か月ほどして内視鏡で肉芽が少し小さくなっていることが分かりました。
主治医にその写真を見せた時のホッとした顔は忘れられません。
悪性だとほぼ小さくなることはないとかでやはり挿管時の傷が原因だろうと
なりましたが声が出にくくなり肉芽が無くなるまで声を出すことを禁じられ
筆談の日々が1年以上続きました。
声が出せないってこんなにストレスなのかとしみじみ思いました。
意思疎通ができないもどかしさ、伝えたいことがあっても諦めてしまう
そんな日が続くとどこかでどうでもいいやと投げやりな気持ちに。
ずっと喉を傷めずに声をだすリハビリにも通いました。
通院は大変だったけど私にとって病院は安心できる場所でした。
1年数か月後やっと声が出せるようになりホッとしたのですが
通院中に甲状腺機能低下症の発症も分かりました。
何もする気力がなくボウっとする毎日、味が全く分からず食欲もなく37㌔に
体重が落ちたままで家族を心配させました。
食べられないのに体がむくんできてすぐに神経内科で診断されました。
洗濯と簡単なお掃除、お料理と術後でも家事はいろいろあります。
買い物が特に大変でしたがそれが結果的にリハビリになったようです。
でも通院以外はほとんど臥せる日々でしたが( ^ω^)・・・
そんな中でも家族の支えがあったので安心できたし楽しみなことも見つけました。
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手術後は免疫力が衰えていろんな病気にかかって入院もしたり「重症筋無力症」が
突然発症したり・・・それでも少しずつ本当に少しずつ体力は回復してきました。
長い文章になりましたが読んでくださってありがとうございました。
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